白蓮のつぶやき…仏様はいつも一緒

お経との出会いと仏様の教えを語り合う時間をいただき心の支えになっています。そんな日々を感謝しつつ、お釈迦様、観音様…まだまだ学びの途中ではありますが日々の暮らしと織り交ぜながら綴っていきます。

はじめに…
この世に生まれてきて沢山の出会いがありました。実家がお寺で一生懸命信心していた祖母のおかげで、小さい時から手を合わせることを教わりました。今はお経との出会いと仏様の教えを語り合う時間をいただき心の支えになっています。そんな日々を感謝しつつ、お釈迦様、観音様…まだまだ学びの途中ではありますが日々の暮らしと織り交ぜながら綴っていきます、よろしくお願いいたします。

名僧の教え 本物の宝とは 最澄(さいちょう)

お釈迦さまが2500年前に説かれた仏教の教えは、「この苦しい世の中を、どうすればより良く生きることができるのか」という問いに、釈迦をはじめ、さまざまな時代の「名僧」が残したことばのなかから、いまを生きる全ての人に役立つ「生き方のヒント」をわかりやすくご紹介します(^^)/



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人々を魅了する宝石よりも、本物の宝とは......。


学んで実践し

考えてまた学ぶ


※学問を修めるにはまず六年間は学習を中心に行い
(かたわ)らにその思案や実践を行うその後の六年間は
その思索や実践を中心に行い傍らに学習を続ける
どんな人もそのように十二年間取り組めば効験は必ず現れます


最澄)(さいちょう)


最澄が日本の天台宗を開くとき、仏法の修行内容や規則を明らかにするために著した「山家学生式」(さんげがくしゅうしき)にある教えです。この著書は、日本の天台宗が奈良、南部仏教から独立した宗派であることを宣言した書物の一つで、「仏教の教えに基づいて自分から善行に努力する人」 「自分の役割を誠実に務められる人」 など人間の育成を目的として書かれたもので、その内容は次の一節から始まります。

「国の宝とは何か」。宝とは、道を修めようとする心です。道を修めようとする心を持つ人を名づけて「国の宝」 といいます。昔の人はこのようにいっています。「人々を魅了する宝石、それは、ほんとうの国の宝ではありません。社会の片隅にいながら、社会を照らす生き方をする。その人こそが国の宝である

現在の日本の教育制度は、奇しくも6,3,3の12年が基本とされています。ただしこれは最澄の教えとは関係なく、第二次世界大戦後に定められたもので、大学進学だけを目標とする

知識の詰め込み’ の温床(おんしょう)に成り下がった制度です。

人生に役立つ学問とは、ただ知識を学ぶだけでなく、知識を自らの言行で実践し、そこで足りない知識を習い、自分の知恵にしていくこと。その繰り返しで、人は自分の修めるべき道を歩む¨自信¨ が持てるようになるのです。  (名僧100文字の教え参照)


追記、道を修めようとする心を持ち、国の宝を目指しましょう (^^)/  現代は学歴社会で人を判断しがちですが、お釈迦様の教えでは、何といって言ってるでしょうかグッド!


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名僧の教え シンプルに考える 栄西(えいさい)

お釈迦さまが2500年前に説かれた仏教の教えは、「この苦しい世の中を、どうすればより良く生きることができるのか」という問いに、釈迦をはじめ、さまざまな時代の「名僧」が残したことばのなかから、いまを生きる全ての人に役立つ「生き方のヒント」をわかりやすくご紹介します(^^)/


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薬師如来の光背(こうはい)を.......。


ものごとは

シンプルに考える


※大きな河に住んで力を発揮するものは、
陸にのぼると悩んでしまうものです。
同様に、何をするにも、虚勢を張り、
人一倍欲望が強く、嘘をつくことがいかに得意でも、
実際の世界では、そうした力は
何の役にも立ちません。


栄西)(えいさい)


鎌倉時代に禅の教えを日本へ伝えた栄西が、京都の建仁寺(けんにんじ)にいた頃の逸話です。ある日、貧困にあえぐ一人の男が寺にやってきて、涙ながらに哀願しました。「わたしは病弱で仕事もできなくなり、妻子に食べさせるものもなく、数日間、食物を探しましたが何も得られず困っています。どうか、お慈悲をいただけないでしょうか」

栄西は何かしてやりたいと思ったものの、寺には蓄えがまったくありません。しばらく考えると、栄西は本堂へ行き、本尊の薬師如来の金の光背(こうはい)を折ると「これを売って米でも買うといい」 といって、その光背を男に渡しました。男は喜びましたが、弟子たちは栄西の常識外れの行いに「罰が当たるのでは........」 と心配します。しかし、栄西は堂々とこういいました。

「罰など当たらない。仏さまがこの世にいたならば「よくぞ光背を折って男を救ってやった と、お褒めのことばがいただけたことだろう」 もし栄西が虚勢や欲望の強い人であったなら、堅物(かたぶつ)で常識的な知恵しか持たない人であったなら、光背を折るという、¨素敵な発想¨ は浮かばなかったでしょう。

悩んだときは、余計なものをすべて捨てものごとをシンプルに考えてみる。正念場で最適な答えを導きだすのは、仏法の知恵に基づく、純粋かつ大胆さです。  (名僧100文字の教え参照)


追記、御本尊の光背を折って、与えるなんて、普通はできませんね ( ;∀;)
歴史に名を残す人物は、流石ですお願い


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名僧の教え 先入観を捨てる 道元(どうげん)

お釈迦さまが2500年前に説かれた仏教の教えは、「この苦しい世の中を、どうすればより良く生きることができるのか」という問いに、釈迦をはじめ、さまざまな時代の「名僧」が残したことばのなかから、いまを生きる全ての人に役立つ「生き方のヒント」をわかりやすくご紹介します(^^)/


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神仏から、愛される人になるには。


悟りを

得られない理由


※何かを悟(さと)ろうとして修行をしても
なかなか悟りを得られないのは
自分の心の中にある固定観念や先入観
偏見や独断に頼りすぎているからです

すべてのものごとをありのまま
正しく見ることができていないからです


道元)(どうげん)


わたしたちは何かを見るとき、それをありのまま、そのままに見ていると思っています。ところが実際は、さまざまな考えや自分なりの意識を持って見ているためその姿や本質をほんとうに正しく見ていないことがよくあります

道元は23歳のとき、そのことを痛烈に実感する出来事を体験したそうです。当時、中国(宋時代)へ渡って禅の修行をしていた道元は、ある日、庭で椎茸(しいたけ)を干している老僧を目にしました。その姿が苦しそうに見えたので「その作務を若い人に代わってもらってはどうですか」と声をかけると、老僧は「これはわたしの務めです。他人が行っては自分の修行になりません」と答えたそうです。

「ならば日差しの強い時間は止めて、涼しいときにしてはどうでしょうか」 道元は気を利かせたつもりで、さらにこういうと、老僧はたんたんと椎茸を干し続けながら、反対にこう質問したそうです。

「日差しが強いほうが椎茸をよく干せます。いまをおいて、いつ干せばいいのですか」 このとき、道元は言葉を失ったそうです。それは、自分が老いた僧の姿や作業効率をよくすることにとらわれすぎて、老僧の考えや椎茸を干すという本質を見落としていたからでした。

下手の考え休むに似たり、言うは易しく行うは難し..........。  


(名僧100文字の教え参照)


追記、下手の考え休むに似たり.......よい考えも浮かばないのに長く考え込むのは何の役にも立たず、時間の無駄だということ。 言うは易く行うは難し.........何をするにしても、口で言うのは簡単だがそれを実行するのは大変難しいということの教え。 (古語ことわざ辞典より)

悟りとは、神仏から差をとる、縮めること!!(さ.と.り) あ~でもない、こうでもないと、神仏を論じるよりは、素直に子供のような感性の方が神仏は、喜ばれます (^_-)-☆


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プロフィール
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白蓮
縁起を見るものは法を見る 法を見るものは私を見る(釈尊) 仏教の奥の深さ、(宇宙の真理.法則)は、真剣に学べば学ほどに、納得させられてしまいます。皆さまも、是非一緒に学びませんか。  来世のためにも、家族のためにも、もちろん自分のために!
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